コミュニケーションについての雑感-26
早期英語教育はどうしても必要不可欠なのか?
このというタイトルから察することができると思いますが、私は反対の立場です。
時代錯誤もはなはだしいと叱られそうですが・・・・恩師の上原先生が反対の立場だったからということだけではなく、私の狭い経験からですから妥当性は疑われますが、私の内なる声に耳を傾ければ傾けるほど、幼少期からの英語教育には反対です。
理由はいくつかあります。
最も大きな理由は「母国語獲得の大切な時期に、母国語の感覚が未開発になってしまう懸念がある」ということです。
これはあとで取り返しのつかないくらい、成長の段階にとって重要なことです。
ただ、「母国語」と「外国語」の区別をどうしてそこまでしなければならないのかは、疑問におもわれてしまうと思います。
特に最近のように情報端末による文字情報や、NHKでさえニュース番組の一部にAIによる自動音声が導入されたというような時代。
若者たちが熱心にみているスマホの動画でも、普通の日本語の抑揚とは全く違うような人工音声のものが多いですよね。
幼少期からそんな状況であるのに、一番母国語のそれこそ母胎になる「おうち」の中でも英語教材の音ばかりにさらされている。
熱心な親だと、自宅内の親子の対話も英語で、なんていうところもありますよね。
そんな今の日本社会では「母国語の危機が人間性そのものの危機なのだ」ということを強調しても「何、それ?」と冷ややかにみられてしまうのが実際のところという無力感で一杯です。
でもこれから10年、20年・・・・その中でこの世代の子ども達に大きな異変がおきたとして誰が責任をとるのでしょうか?実際にはとれないとは思いますが・・・・
ちょっと皮肉っぽく言えば、赤信号みんなで渡ればこわくない 式に、母国語の感覚が未発達の人達が大勢いるからそうなってもそれほど気にはならないかもしれません。
ただ、この現代社会においても、ちゃんと母国語としての感覚をきちんと身に着けて大人になった人は確実にいます。
そういう人達にしかできないことが確実にあります。
そしてそういう人達ができることこそが、結果としては国際社会の中でも必要とされるのではないかと思うんですよね。
日本人でありながら、日本の歴史や文化に疎い人達は現代でも海外の人達からはさげすまれています。口に出すかどうかは別にして。
ちょっとも日本に関心のある人達だったら、今の普通の日本人よりもずっと日本について詳しい人が大勢います。
そんな人達からすれば、どんなに流暢に英語が話せても、そんな日本人とは交流したいとは思わないでしょう。
それよりも英語が全く離せなくたって、彼らの日本への好奇心をみたしてくれるような年配者などの方に強く吹かれてるというのが現実です。むしろ美しい日本語、もっとも日本語らしい日本語を自然に豊かに話せる人こそが求められている。
「国際人になるために」と盛んに幼少期からの英語教育の必要性が説かれていますが、ここ2~3年をみても、文字の翻訳は非常に手軽にできるようになっています。数か国語の同時通訳機能つきスマホの販売もニュースでやっていましたが、今の子ども達が大きくなったころはさらに精度もあがっているだろうし、安価になってほとんどの若者が普通に使える時代になっているでしょう。
そういった意味では私達が子どものときのように「これからは国際社会の時代なのだから、英語の読み書きもできないようでは通用しない」なんてい言われても今の子は何の必要感じないでしょうね。
注、では英語教育が中学高校以降でも必要ないかというと、私は違う面での英語教育はしっかりと行う必要があると思っていますし、実際に家庭教師の時にはそうしたことを加味してやっていました。(それはまた別の機会に)
今の早期英語教育の方向は、実際には海外の人から興味関心を抱かれないような人間の育成をしているようにしか私にはみえません。
極端な言い方をすれば、喜んでいるのは教育産業の方々ばかりなのではないかと・・・・
2番目の懸念の方が分かりやすいかもしれません。
それは日本人同士のコミュニケーション能力の欠如です。
随分前になりますが、NHKニュースの中の特集で一度だけ幼少期の早期英語教育の問題をやっていたのをみたことがあります。
乳幼児の頃から英語教材づけになった子ども達が精神を病んでしまうケースが増えていると。
大きな原因が幼稚園や保育所で、日本語で友達とのやりとりが十分にできない、成長に必要なまともなケンカも日本語でできないからだと。
非常に大事な問題なのに、その後こうした特集番組が定期的に放送されているかというとほとんどないと思います。
*これも随分前ですが、視点・論点で当時お茶の水女子大学教授 藤原正彦先生が
「小学校から英語教育は必要か」
ということで早期英語教育に反対のことを語られていました。
現在でもコミュニケーションについて多くの人達が悩み苦しんでいます。
そこに早期英語教育世代が社会に巣立っていったらどうなるのか?
国際社会の一員として外国人と自由自在に英語で語り合い、世界に貢献しているのか・・・・
子ども達の不幸を願うわけではないので、私の懸念がまったく心配いらなかったというのならそれはそれでいいです。
でも、いろんな可能性をきちんと検討し、子ども達の成長を保証してあげることが大人や社会の責任だと思います。
☆具体的な英語教育に関しての具体的な事例などは、違うシリーズで書きたいと思っています。
とりあえずコミュニケーション雑感はこれで区切りとします。
☆母国語教育とコミュニケーションについてのこんな論文を書いたことがあります。
よろしかったらご覧ください。
国語教育思想研究 21 号 2020-10-01 発行 の中に載っています。
母国語教育の支柱としての「構え」、再考 : 連歌の発想を取り入れた就労支援施設のグループワーク実践から